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パン屋エメモア開業ストーリー|第3話
「お金の不安と向き合いながら、頼ることで開いた道」
「夢はある、でもお金がない。生活もあるし子どもも小さい。大丈夫かな…」
開業に向けて動き出した真貴子さんが最初にぶつかった壁、それは資金の不安だった。
開業資金、改装費、機材費、生活費――全部合わせたら、一体いくらかかるのか?
何をどこに聞けばいいのかすらわからない。
けれど、彼女は諦めなかった。
「知らないなら知ればいい。ひとりで無理なら人の力を借りればいい」
そう心を決めて、行動を積み重ねていった。
奈良での開業を決めてすぐ、真貴子さんは「土曜塾」という起業支援講座に申し込んだ。
奈良県よろず支援拠点が主催する全6回の講座で、Zoomでの個別指導・宿題の提出・フィードバックを通じて事業計画書を作成していく。
「正直、最初はすごく不安でした。Zoomでいきなり個別面談って緊張するじゃないですか」
「でも講師の方がそのままで大丈夫って言ってくれて。話すたびに、自分の頭の中が整理されていくのがわかったんです」
この土曜塾には、経営や資金、SNSや補助金の専門家が勢揃いしており、希望すれば個別に相談にも乗ってくれる。
「創業の想い」「開業後の目標」「資金の流れ」「誰に何を届けるのか」
すべてを文章にし、数値にし、現実の計画として仕上げていく。
その過程で、彼女の中にあった漠然とした夢が「事業」としての輪郭を持ち始めていった。
並行して進めていたのが、お金の整理。
自宅の通帳をすべて机に並べ、初めてきちんと家計簿をつけた。
「それまでは、なんとなくお金が出ていって、なんとなくやりくりしていたんですよね。だけど今回はそうもいかない」
レシートを一つずつ見返して、無駄を削り、家にある不用品はフリマアプリなどで売った。
本当に小さな額でも「少しでも貯金を増やしたい」という気持ちが背中を押していた。
「開業に必要な金額は、本当に未知でした。ネットや本には800万〜1000万円くらいって書いてあったけど、実際どうなるのかは誰も教えてくれない」
だからこそ、見積もりをひとつひとつ集めた。
設備屋さんに聞き、機材屋さんに聞き、細かい備品もExcelでひたすらリスト化していく。
そんな中で出会ったのが今の税理士さんだ。
夫の尊敬する先輩からの紹介だった。
「どうせお前、訳わかってへんねんから税理士さんに任せておけって言われたんです(笑)」
でもその一言が、実際に大きな助けとなった。
税理士さんは創業計画書の内容をブラッシュアップし、融資先の日本政策金融公庫や信用金庫とのやりとりにも同席してくれた。
「この計画ならいける」
「ここは数字の整合性がとれていないから直そう」
真貴子さんにとってはまさに伴走者。
自分ひとりでは乗り越えられない局面を、何度も一緒に越えてくれた。
最終的に資金調達は、日本政策金融公庫と奈良信用金庫のダブル融資。
信用保証協会の保証も受け、開業に必要な金額に届いた。
「自己資金の3倍まで借りられるっていう話、聞いたことありませんか?」
「実際はあくまで目安なんです。最終的には計画の説得力と、自分たちがどう動いているかを見られているんだなって、すごく感じました」
奈良信用金庫の担当者は、何度も見積もりや収支表を一緒に確認してくれたという。
「お金を借りるって怖いって思っていました。でも実際は全然違う。味方になってくれる人がちゃんといたんです」
ちなみに、最も不安だった生活資金もしっかり計画に入れていた。
開業後すぐには売上が安定しない可能性もある。
仕入れ、光熱費、自分たちの生活費――それらを運転資金として数ヶ月分確保することで、資金ショートのリスクを下げた。
「運転資金なんて言葉、最初は知らなかったんですよ。でも、それを入れないと開業したのに仕入れができないってことにもなる」
土曜塾や税理士さんとの会話で一つひとつ勉強したことが、着実に自分たちのお店の基盤になっていった。
そして迎えた融資の面談。
日本政策金融公庫、奈良信用金庫、信用保証協会――複数の面接が続く中で「なぜこのお店をやりたいのか」「どうやって返済するのか」「事業として本当に成り立つのか」を何度も問われた。
でも、真貴子さんの言葉はどこまでもまっすぐだった。
「この場所に、安心して来られるパン屋をつくりたい」
「おいしさと健康、その両方を届けたい」
「お金の不安も、子育ても、全部こなしながら、でも夢をあきらめたくないんです」
面接官の表情は最後にはやわらかくなっていたという。
こうして融資も決まり、開業のゴーサインが出た。
でもここで話は終わらない。
融資も整い、いよいよ内装の詳しい打合せへと動き出す段階になった。今までに問い合わせをした中で「これはこうですよ」「このやり方が正しいです」とぐいぐいリードしてくるタイプの工務店に対して、
「ノトスクリエイティブホームさんは、最初からこちらの気持ちに寄り添ってくれて、どうしたいかをじっくり聞いてくれる姿勢が印象的でした。」
「こちらの気持ちを置き去りにしないでいてくれました。それが本当にありがたかったんです」
ご主人とも相談し「どこでやるか以上に誰とやるかが大事だよね」と意見が一致し、ノトスさんに工事をお願いすることを決めた。
初めての店舗づくりで右も左も分からない中、「この人たちになら素直に相談できそう」という安心感が、大きな決め手になったという。
次回は、開業に向けた内装・準備・お店ができていく過程に追っていきます。
パン屋エメモア開業ストーリー|第2話
「資格と現実のはざまで、揺れる心と向き合って」
人生には、思いがけないタイミングで大きな転機が訪れる。
真貴子さんにとってそれは2人目の妊娠と、ある「パン屋の居抜き物件」との出会いだった。
でもその前に――
彼女は自分の夢と目の前の現実の間で、長い時間悩み続けることになる。
大学病院での栄養指導の仕事は、日々新たな学びに満ちていた。
3000人以上の患者さんと向き合いながら、「食べることが人の生活をどう支えているか」「人はどんなときに、食を変えようと決意するのか」を、肌で感じていった。
「本当の健康ってなんだろう?」
「毎日バランスを考えて食事を作ることが正解なのか?」
努力する人もいれば「薬を飲めばいい」と割り切る人もいる。
正解が一つじゃない現実に直面しながらも、真貴子さんの中にあった「カフェをやりたい」という夢は、やはり消えてはいなかった。
結婚後は夫の転勤で磐田、さらに名古屋へ。
生活は一変し、仕事よりも「家庭」や「育児」に軸足を置くようになっていく。
「夢はあったけど生活も楽しかったんです」
「気づけば日々に流されていました」
カフェ開業の想いを忘れていたわけじゃない。でも、毎日をこなすだけで精一杯だった。
特に、第一子出産後は、産後うつと育児ノイローゼにも悩まされるようになる。
「知り合いもいない土地で、朝から晩まで子どもと2人きり。コロナ禍も重なって、世界から取り残された気分でした」
そんな中で強く感じたのは、人とのつながりの大切さだった。
「話せる人がいない」
「社会と切り離されているような感覚」
このままではいけない。自分が壊れてしまう――
そう思った彼女は、再び働きに出る決意をする。
当時、託児所付きの特別養護老人ホームで栄養士としてパート勤務をスタート。
再び「自分の役割」を取り戻せたことで、少しずつ前向きな気持ちが戻ってきた。
ところが、勤務先の正社員栄養士が突然退職。
後任が見つからず、真貴子さんが正社員として抜擢されることに。
仕事のやりがいはあった。お給料も上がった。
でも責任も大きく、1人で回さなければならない現場に日々追われていった。
「忙しすぎて、自分が何をしたいかも考える余裕がなかった」
「だけどふと立ち止まったときに思ったんです。本当の幸せって何だろうって」
そして2023年、第二子の妊娠を機に産休に入る。
少し時間ができたそのタイミングで運命の声がかかる。
奈良で人気だったパン屋の店主が、お店をやめるという話が舞い込んできた。
声をかけてくれたのはご主人の専門学校時代の同級生。
「この物件、居抜きで入らない?」
あまりにも突然の話。だけど、夫婦2人で交わしたある約束がよみがえる。
「いつか2人でパン屋をしようね」
「それがまさか今?」
「このタイミングで?」
彼女は迷った。生後間もない0歳の娘もいる。名古屋に住んでいて、奈良でお店を開くには引っ越しも必要だ。
けれど心は決まっていた。
今しかない
もう一度、人生を自分で選びたい
「この生活を変えたい」
「夢をもう一度、形にしたい」
その想いはご主人にも伝わっていた。
「一緒にやろう」と、2人はパン屋開業に向けて動き出すことになる。
でも、現実は甘くなかった。
「まずは何から始めればいいの?」
「お金はどうする?」「子どもは?」「本当にやっていけるの?」
不安は山のようにあった。
それでも、動かなければ何も始まらない。
彼女は「奈良 起業 支援」と検索して出てきた、奈良県地域産業振興センター 奈良よろず支援拠点の創業初心者セミナー「夢をかなえる土曜塾」に申し込む。
土曜塾は起業を目指す人に向けた全6回の勉強会で、Zoomを使って個別指導が受けられる内容だった。
さらに知人の紹介で税理士さんとも出会い、創業計画の相談にも乗ってもらえるようになった。
「お金のことが一番不安でした。でも、まずは行動しないと始まらない。人に頼っていいんだって、ようやく思えるようになったんです」
こうして、夢は少しずつ計画になり、そして現実へと近づいていく。
「やりたい」だけでは、起業はできない。
だけど「やらないと後悔する」と思ったとき、人は一歩踏み出せるのかもしれない。
夢の実現にはタイミングと覚悟が必要だ。
そして何より、信じて動き出す最初の一歩を恐れないこと。
「お金も子育ても不安だらけだったけど…今はあのときの自分に、よく決断したねって言ってあげたいです」
こうして真貴子さんはご主人を名古屋に残し、4歳と1歳になる娘たちと先に奈良へ引っ越しをして、準備を進めていく。
「もう後戻りはしない」
背中には、夢と覚悟を詰め込んだリュックひとつ。
次はいよいよ「開業に向けたリアルな資金計画と乗り越えた壁」の話――
パン屋エメモア開業ストーリー|第1話
「夢の種は、小さな違和感から芽を出した」
奈良市出身の岩瀬 真貴子さん。
現在34歳。奈良ののどかなまちで、ご主人とともにパン屋
「Boulangerie Aime moi(エメモア)」を営んでいる。
お店を訪れる人は口を揃えて言う。
「ここのパンはやさしい味がする」
「また来たくなる」
そしてほとんどの人がリピーターになっていく。
そんな繁盛店は、ごく普通のひとりの女性が感じた
小さな違和感から始まった。
真貴子さんは大学卒業後、管理栄養士の国家資格を取得した。
食べることと人の健康を支えることに興味があり「子どもが好き」という理由から、卒業後は保育園の栄養士として就職。
だが現実は想像以上に厳しかった。
3人で120食分の給食を作る職場。慌ただしい厨房。ルーティンに追われる毎日。
「子どもが好きで選んだ道だったのに、気づけば自分の時間も心の余裕もなくなっていて…」
そんな日々を過ごすなかで、ふと頭に浮かんだのは、学生時代に抱いたある想いだった。
「いつか、カフェを開いてみたい」
もともとカフェ巡りが好きで、週末には大阪中のカフェを巡っては、
空間や器、盛り付けを楽しんでいた。
21歳の頃には「将来自分のカフェをやりたい」と夢見るようになっていたけれど、仕事を始めてからはすっかり忘れていた。
ただ、その夢は心の奥で静かにくすぶり続けていたのだ。
ある日、思い切って職場を退職。
次に選んだのは大阪の健康志向のカフェだった。
そこはいわゆる普通の飲食店ではなかった。
「独立を応援する」という方針を掲げており、働きながら料理・接客・経営のすべてを学べる場所だった。
「子ども向けの給食は作れても一般の大人が喜ぶ料理には自信がなかったので、いちから教えてもらいたかったんです」
転職後わずか1ヶ月。仕込み担当のスタッフが突然辞めてしまうという出来事が起きた。
代わりが見つかるまでの間、彼女が一人でその役を担うことになった。
平日は60食、土日は120食。
仕込み、調理、段取り、味付け、時間管理――すべてが試練だったが、気づけば自分の力が確かに積み重なっていく感覚があった。
「やればできるんだ」
「少しずつ夢に近づいている」
そして何より、ここで働く社員の多くが実際に独立していく姿を見ていた。
わずか10ヶ月の間に、イタリアン、居酒屋、スイーツカフェ…と、5人以上がそれぞれの夢を叶えて羽ばたいていった。
「いつかやりたいじゃなくて、やろうと思えばできるのかもしれない」
それは、彼女の心に芽生えた小さな夢の種に、初めて水が注がれた瞬間だった。
しかし、そんな前向きな日々にある出来事が影を落とす。
常連のお客様のひとりに、拒食症と思われる女性がいた。
ある日、その方がメニューを上から下まで、前菜もメインもデザートもすべて注文し、すべて完食された。
お店側としては「たくさん食べてくれて嬉しい」と思うべきことだったのかもしれない。
けれど、管理栄養士としての視点を持つ真貴子さんにとっては、複雑な気持ちが残った。
「この人、本当に大丈夫かな…」
「もし自分がお店を開いたときに、こういうお客さんが来たらどう接すればいいんだろう?」
食は人を幸せにする。
でも、間違ったかたちで関われば体を傷つけることもある。
「私、本当にちゃんと食のこと分かっているんだろうか?」
この体験をきっかけに彼女はもう一度食と健康に正面から向き合うため、大学病院に勤務し、栄養指導を学び直す決断をする。
病院では3,000人以上の患者さんと出会った。
食生活を変えようと一生懸命努力する人もいれば、「薬を飲んでいたらいいわ」と諦める人もいた。
「健康を伝えるってきれいごとだけじゃ通用しない」
「その人の生活や人生に寄り添ってこそ本当の意味がある」
そんな現実に触れ、彼女の考え方は少しずつ変わっていった。
健康だけを追い求めるのもどこかで疲れる
美味しさだけを追い求めても誰かの体を壊すかもしれない
この両方のバランスのなかで「自分にしかできない食のかたち」を模索し続けた。
その後結婚し、夫の転勤で磐田・名古屋へ。
子育てや家族との暮らしが日々の中心となり、カフェの夢は再び遠のいたように思えた。
でも心の奥底ではいつも、やっぱりいつか自分のお店を持ちたいという思いが消えていなかった。
そして――
このあと、まさに「人生の転機」が思わぬかたちで訪れることになる。
cafe&kitchen MANABI 「これじゃない」と思ったあの日から、すべては始まった。
〜ある厨房で芽生えた、“自分の店”という選択〜
「料理やりたいって思ってたのに…」
そう語ってくれたのは、現在カフェを営む桑名さん。
大和郡山市で、ランチ時には行列ができるお店を経営しています。
けれど、その原点には、誰にも言えない違和感がありました。
「これからはコーヒーが主力です」
かつて桑名さんは、ある飲食店で働いていました。料理人として腕を磨き、現場の責任者を任されるようになった頃、月1回の会議で本部の方針が発表されました。
「これからは、うちは“料理”よりも“コーヒー”をメインにしていきます」
その言葉に、彼の中で何かが止まりました。
「正直、それを言われたときに思いました。『じゃあ俺、ここで料理する意味ないな』って。」
もちろん、その企業の方針に誤りがあるわけではありません。けれど、自分が情熱を注いでいた“料理”に対する価値観とのズレを、どうしても受け入れられなかったのです。
「これ、自分の人生なんかな」
働く環境に大きな不満があったわけではありません。収入も安定していて、やりがいもあった。けれどふと、日々の中でこう思うことが増えていきました。
「自分やったら、こうするのにな」
「もっと、こうしたらお客さん喜んでくれるのに」
与えられた指示をこなすことに、どこかモヤモヤを感じるようになっていきました。
「思ったことを実現したくなった。多分その頃から、思考が“外”に向いていったんやと思います。」
「独立したい」が、現実になる
そんなとき、ある部長との会話がきっかけになります。
「損益分岐点って知ってる?自分の店をやるなら、そこをちゃんと計算せなあかんで」
軽く投げかけられたその一言で、初めて「事業計画」という言葉と向き合うようになりました。ざっくりと計算してみると…
「意外と、いけるんちゃう?って思ったんです。そう思えた瞬間から、スイッチが入りました。」
「不安はなかった。でも…」
起業には不安がつきもの。けれど当時の彼は、ワクワクしかなかったと振り返ります。
「不安?なかったですね。でも多分それは、まだ何も分かってなかったから(笑)」
それでも、周囲の支えは大きかったと言います。
「母親が“あんたがやるなら、やったらええやん”って言ってくれたんですよ。実家も自営業で、おばあちゃんも商売気質やったから。多分、その血を受け継いでるんやと思います。」
「人生を、自分の手に取り戻したい」
料理が好きだった。ただ、美味しいものをつくるだけじゃない。自分の判断で、自分の責任で、人を喜ばせたい。そんな想いがふつふつと湧いてきたのです。
「別に、よその店で修行してもよかったんです。でも、やってみたかった。“自分の看板”で。」
それは、「これじゃない」と思っていた日々に、さよならを告げるということ。
そして、自分の人生を、自分で選び直すということでした。