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子どもの成長
こんにちは。
ノトスクリエティブホームの皿谷です。
先月は長男の話を書かせていただきましたが、
今回は一番下の娘の話をしようと思います。
我が家には三人の子どもがいます。
順番は「男・男・女」。
一人目から「女の子がいいなぁ」と言っていた主人でしたが、
現実は男の子が二人続きました。
私は三人姉妹で育ち、実家の孫も全員男の子。
その流れもあってか、「三人目もきっと男の子やろうな」
と思い、正直なところ二人でいいかな、
なんて思っていた時期もありました。
でも、私も主人も三人兄弟。
「男三人も楽しいかもね」と話し、
ありがたいことに三人目を授かりました。
妊娠中は、性別はどちらでもよく、とにかく
元気に生まれてきてくれたらそれでいいと、
あえて聞かずに過ごしました。
そんなある日、生まれてきたのは……なんと念願の女の子。
親戚一同びっくりでした。
しかも、夜はよく寝て、あまりぐずらない。
本当に手のかからない、かわいい子でした。
……が、今は年頃。反抗期まっただ中です。
お兄ちゃんたちが楽だった分、正直こちらは苦戦中
(現在進行形です)
そんな娘が、いよいよ大学受験。
これがまた心配で心配で……。
お兄ちゃんたちは、ほっといても
勝手に勉強していたのですが、
娘は家ではほとんど勉強している姿を見せない。
しかも吹奏楽部で、最後まで部活を続けたいという
強い気持ちがありました。
「受験もしたい、でも部活も続けたい」
その気持ちを尊重しようと決めたものの、
内心はドキドキ、ハラハラの毎日でした。
そして迎えた受験結果発表。
結果は――見事、合格。
家族一同、心からホッとしました。
後日、お友達が泊まりに来た時に
「学校では、ずっと勉強してたよ」と教えてもらい、
見えないところでちゃんと頑張っていたんだな、
と胸がいっぱいになりました。
受験が終わり、吹奏楽部の最後の定期演奏会。
中学生の頃はコロナで思うように活動できなかった分、
高校では一度も休まず、一生懸命に部活に打ち込んだ娘。
勉強も部活も、どちらもやり切って、
本当にいい高校生活を送れたんじゃないかな、と思います。
普段はあまり感情を表に出さない娘ですが、この日は号泣。
それを見て、私も一緒に号泣しながら見届けました。
小さなお子さんがいらっしゃる中、最後まで熱心に
指導してくださった顧問の先生には、
感謝の気持ちでいっぱいです。
子どもの成長は、うれしくもあり、少し寂しくもあり。
また一つ、大切な節目を家族で迎えられたことに、
感謝した一日でした。
「したいこと」と「求められること」がズレたとき、どう考えるか
お店をオープンしました。
いざ始めてみたら、
自分が「これを提供したい」と思っていたものと、
お客さんが「求めているもの」
市場が「反応しているもの」
この3つが、少しズレている。
そんな状況って、実はよくある話やと思います。
それは価格かもしれないし、品質かもしれないし、
味やサービスの内容かもしれない。
今日は、ちょっと極端な例を使って考えてみたいと思います。
例えば、コーヒー屋さんをオープンしたとします。
一杯一杯、丁寧にコーヒーを淹れて、
お客さんに「ほっとする時間」を提供したい。
そんな想いで始めたコーヒー屋さん。
最初はぼちぼち来店もあるけど、
思ったほどお客さんが増えない。
そこで、試しに紅茶も出してみた。
すると、その紅茶が大人気になって、
行列ができるお店になったとします。
このとき、オーナーはどう考えるか。
これは、めちゃくちゃ大事な分岐点やと思います。
選択肢は大きく分けて2つ。
ひとつは、
「もうコーヒーにこだわらず、紅茶でいく」
業態を少し変えてでも、求められている方に寄せていく。
もうひとつは、
「やっぱり自分はコーヒー屋として生きたい」
一時的に人気が出たとしても、コーヒー一本で勝負する。
どちらが正解という話ではありません。
どちらも立派な選択やと思います。
ただ、コーヒー一本でいくという選択は、
正直、いばらの道になることが多い。
職人気質というか、
「自分のやりたいことを突き通す」選択やからこそ、
広がりにくい場合もあります。
一方で、紅茶に寄せる選択は、
経営的には安定しやすいし、
より多くの人に知ってもらえる可能性も高い。
ただし、ここで問題になってくるのは、
オーナー自身の気持ちなんですよね。
「自分は何のために、この店を始めたんやろう?」
ここに向き合わざるを得なくなる。
だからこそ、こういうときは
原点に立ち返ることが大事やと思っています。
そもそも、なぜコーヒー屋さんをやろうと思ったのか。
もしそれが、
「コーヒーを通じて、ほっとする時間を提供したい」
「忙しい毎日の中で、少し立ち止まれる場所をつくりたい」
という想いだったとしたら。
コーヒーは、あくまで手段なんですよね。
その価値を届けるための、ひとつのツール。
だったら、紅茶でもいいかもしれない。
別の飲み物でもいいかもしれない。
大事なのは、
「何を売るか」よりも
「どんな価値を届けたいか」
その価値を叶えるために、
コーヒーが最適なのか、
紅茶が最適なのか。
そこを冷静に見直すことが、
「市場に寄せる」ということなんやと思います。
よく言われる、
できること
したいこと
市場が求めていること
この3つが重なるところ。
そこが、商売の核になる。
ズレが生じたときこそ、原点に立ち返って考える。
そんな視点を、今日は書いてみました。
少しでも参考になれば嬉しいです。
決めることに、エネルギーを使いすぎていないか
皆さんもきっと同じやと思うんですが、
毎日、毎日、ほんまにたくさんの意思決定をしています。
問い合わせが来たときにどう返すか。
この状況でA案にするか、B案にするか。それともC案か。
ひとつひとつは小さなことに見えるかもしれませんが、
これって実は、めちゃくちゃエネルギーを使っているなと感じます。
意思決定って、本来人間があまり得意じゃない作業なんちゃうかなと。
できるなら避けたいし、減らしたい。
それをすごく感じる場面があります。
例えば、外食するとき。
「何食べよか」ってなったら、多くの人がスマホで調べますよね。
口コミの数、評価の点数、レビューの内容。
行列ができていたら「ここなら間違いないやろ」って入る。
これって、自分で判断するしんどさを、
他人の評価に委ねている状態やと思うんです。
もし口コミも評価もなかったら、
「美味しいんかな」
「失敗したら嫌やな」
って不安を抱えながら決めないといけない。
それって、かなり労力がいる。
だから人は、決めなくていい材料を探すんやと思います。
意思決定には、大きなものもあれば小さなものもある。
でも、できるならこの「決める回数」そのものを減らしたい。
じゃあどうするか。
ひとつは、自分なりの判断軸を持つことやと思っています。
たぶん人は、無意識のうちに
マイルールみたいなものを持っているはずなんです。
ただ、それが曖昧やと、
毎回その場その場で考えることになる。
そこを、もう少し言語化して、
精度を上げていけたらいいなと思っています。
ほんまに小さな例で言うと、現場で使う道具の話。
僕らの仕事は、道具がとにかく多い。
作業のたびに全部出して、終わったら片付ける。
そのときに「これ、どこに直そか」
って考えるのって、実は無駄な判断なんですよね。
最初から
これはここ
これはここ
って決まっていれば、脳みそを一切使わなくて済む。
こういう些細なことでも、意思決定の数は確実に減らせる。
大事なのは、
本当に考えたいことに、エネルギーを使える状態をつくること。
どうでもいい判断で、脳みそを疲れさせない。
そのために
判断軸を持つ
ルールを決める
決めなくていい状態をつくる。
今日はそんなことを考えながら、
このブログを書いてみました。
何かひとつでも、
参考になれば嬉しいです。
目標を達成して思うこと
ノトスクリエイティブホームの久保田です。
ようやく、ヘアドネーションという
一つの目標を達成することができました。
美容室でカットされ、
束ねられた自分の髪を何度も眺めながら、
これまでの月日を静かに振り返っています。
今の気持ちを一言で表すなら、
ただ「感慨深い」という言葉に尽きます。
繰り返した自問自答
目標を決めてから今日まで、
諦めそうになったことは、
両手の指では数えきれないほどありました。
特に、毎晩30分ほどかかるドライヤーの時間。
一日を終えて疲れ果てたとき、
「少しでも早く寝たい」という本音に、
何度も負けそうになりました。
実は、目標を目前にしながら、
心が折れそうになった時期もありました。
それまでコツコツと積み重ねてきたことが、
急にできなくなったり、自分に甘くなってしまったり。
自分の弱さに負けて、足が止まってしまうことがあったのです。
ふと自分に問いかける原点を思い出す瞬間がありました。
「本当に、これでいいの?」
そう感じる自分を、
どこかで「嫌だな」と思うようになっていました。
そこで、もう一度自分に喝を入れ直しました。
私を支えていたのは、
インスタで見かけたある男の子の姿です。
周りに笑われても、
自分の意志でヘアドネーションに
挑戦していた彼の真っ直ぐな姿。
それを見たときに感じた、
「自分も誰かの役に立てるかもしれない」という、
あの時の原点を思い出しました。
そのぶれない軸を思い出すことで、
私はまた、がんばれました。
達成の先に見えたもの
あんなに大変な道のりだったはずなのに、達成した今、
不思議と「また次もチャレンジしよう」と思っている自分がいます。
自分の弱さと向き合い、
それを乗り越えて一つのことを成し遂げたとき、
人はまた新しい一歩を踏み出したくなるものなのだと、
改めて実感しています。