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えほん食堂カシュカシュ 最終話:夢は、もう一度動き出す(私らしく)

カフェをしたいという思いは、ずっと頭の片隅にありながら、現実味がなかった。

でも、雑貨や器を選ぶとき、どこかで自分らしいカフェを意識していた。

勉強勉強なんて言いながらも、フランスやイギリス、北欧に何度も旅したりして、

自分の感性や好きなものを少しずつ集めていたのだと思う。

「もっと若いときに始められたら…」なんて考えることもあるけれど、もう仕方ない。

回り道ばかりだった人生も、悔しい思いをしたり、偶然の縁に救われたりしながら、ここまで歩いてきた。

人生も折り返し。

このカフェは、好きなことだけ、無理せず、細く長く、自分のペースで楽しんでいきたい。

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えほん食堂カシュカシュ 第4話:もう一つの「夢」へ

自宅でのおやつ教室は口コミで広がり、地域活動の料理講師として呼ばれるまでになった。

お菓子・パン・お料理──どれか一つに絞った方が集客しやすい、とアドバイスをいただいたこともありました。

けれど、私には「おやつ」という言葉への強い思い入れがありました。

「おやつ教室」と名付けたのは、

おやつが“お菓子だけでなく、パンやご飯も含む懐の広さ”を持っていること、

そして「おやつ」と聞くだけでワクワクする気持ちを届けたい、

そんな願いからです。

そんな中、ある生徒さんから「カフェをしたいからお菓子を学びたい」と相談された。

その言葉を聞いた瞬間、私はハッとした。

「何かできるからカフェを開く」のではなく、**「カフェをしたいから開く」**のだと気づいたのだ。

そう気づかされた私は、漠然と抱いていた**“いつかカフェをやりたい”**というもう一つの夢に、改めて向き合うことになった。

ちょうどそのころ、友人に誘われてホテルの調理補助のパートを始めることにした。

本当はプロの調理場に立つことへの恐怖が強かった私にとって、思いがけない挑戦だったが、

現場で仕込みの重要性を身をもって学び、

「仕込みをしっかり整えれば、私にもできるかもしれない」という思いが、少しずつ現実味を帯びていった。

やがて縁あって、間借りカフェを経験することに。

大変なことも多かったが、友人たちに支えられ、お客様との出会いは格別だった。

「名もなきお店」に毎週のように通ってくださるお客様もいて、その温かさに心から感謝した。

しかし、オーナー様の都合で間借りカフェは閉店。

残念だったが、この経験は私を大きく成長させてくれた。

そんな折、両親の介護問題が浮上したことをきっかけに、

「実家の納屋をリノベーションして、自分のカフェを開こう」と決心した。

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えほん食堂カシュカシュ 第3話:動き出した新しい道

子育てに専念する日々を送っていた私。

息子が年中さんになると、「そろそろ仕事を再開しよう」と考え、大手料理教室の講師の仕事を始めた。

そんなある日、アイシングクッキーを乗せた子どもの誕生日ケーキを作ったことがママ友たちの間で話題になった──。

「教えてほしい」と声をかけられたが、最初は「無理無理」と断っていた。

独学で学んだアイシングクッキーだったし、人様に教えるなんて自信がなかったからだ。

もともと“おやつ教室”を開く夢はあったが、アイシングクッキーは独学なので教えるつもりはなかった。

それなのに、いつの間にかそちらばかりが注目されてしまったのだ。

だが、何度も「別にパティシエを目指してるんじゃないんだから。あなたがいい。」と背中を押してくれる言葉をもらい、「じゃアイシングはお楽しみ程度にね」と自宅でおやつ教室を始めてみることにした。

お楽しみにと始めたアイシングから、夢だった自宅教室がスタートしました。

さらに、大学で絵の学科に進んだことも無駄にはならなかったなと感じ、

どこかにあったもやもやした気持ちが少しずつ楽になっていった。

最初は戸惑いしながらで、決してスムーズには進まなかったが、温かく見守ってくださる生徒様に助けられながら、少しずつレッスンの形ができていった。

子ども向けには楽しく、大人向けには役立つように──と工夫を重ね、

数をこなすうちに、だんだんと自分らしい教室に育っていった。

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えほん食堂カシュカシュ 第2話:回り道で得た宝物

思い切って製菓の世界に飛び込んだ私。

職人を目指すには若くもなく、体力も足りないと感じていたので、

まずは仕事をしながら夜間の製菓学校に通うことにした。

これが、私の人生の大きな転機になった。

学校で出会った仲間たちは、今でも背中を押してくれる大切な存在だ。

卒業後はいきなり自宅でお教室を開くのではなく、まずは現場を知ろうとパティシエの仕事を経験した。

手の皮がむけてしまうほど厳しい現実だったけれど、

それでも学ぶことへの感謝を忘れずに挑戦した。

やがて一度パティシエから離れることになったが、

この経験は決して無駄ではなかった。

その後、接客業に戻った。

もともと接客業は自分に合っていて、人と接することが好きだったため、

手が治るまでのつもりが、接客の楽しさや良い仲間との出会いから、

いつの間にか長く続ける仕事になっていった。

そして結婚、出産を経て、仕事からはさらに遠ざかっていく。

けれどこの道で得た経験や出会いが、

のちに私の人生を彩る大切な宝物になっていくとは、

この時はまだ知る由もなかった。

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