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ケーキ屋「小さな菓子屋aya」開業ストーリー    第3話

「情報がない・相談先がない── 手探りで進めた開業準備のリアル」

開業を決めたとはいえ、そこからが本当のスタートでした。
やりたい気持ちはある。でも、現実は「わからないことだらけ」。お店を持つには何をすればいいのか、誰に相談したらいいのか、インターネットで調べても断片的な情報しか出てこない。まさに手探りの日々でした。

■ まずは物件探しから

お店を始めるには、まずは場所が必要です。けれども、自宅を店舗として使うのか、テナントを借りるのかでも大きく変わります。私は幸い、住まいの敷地内にスペースがあったため、そこを利用できないかと考えました。

ただ「ここに建物を増やしてお店にする」という発想が、そもそも当時の私にはまだはっきりイメージできていませんでした。建て替えなのか?増築なのか?リフォームなのか?どういう依頼先にお願いすればいいのかも分かりません。

最初はよく耳にするハウスメーカーに相談しました。でも返ってきたのは「増築」という枠での提案。提示された金額は、私が想定していた金額よりはるかに高く、到底現実的ではありませんでした。厨房や店舗用の設備は別途必要で、そちらの費用は見積もりに含まれていない。これでは到底進められない…と早々に断念しました。

■ ノトスさんとの出会い

「誰に相談すればいいんだろう…」と迷っていた頃に、縁あって今のノトスさんを紹介していただきました。最初の打ち合わせでは、今まで誰にも言えなかった「予算の現実」も素直に相談しました。
「これくらいの規模で、できれば○○○万円台で抑えたいんです…」

でも、その時に工務店さんが
「いけますよ。内容によりますけど、なんとか現実的に収まるラインで考えましょう。」
と言ってくれたとき、初めて「できるかもしれない」と実感できたのです。

この一言が、私にとっては大きな希望になりました。

さらにありがたかったのは、工事そのものだけでなく、厨房機器や設備、内装のことまでトータルで相談に乗ってくれたことです。お菓子屋の厨房は、家庭のキッチンとはまったく違います。オーブン・冷蔵庫・ミキサー・作業台…必要な機器がたくさんあります。それらをどう配置すれば効率よく動けるのか、プロの目線で一緒に考えてもらえたのは心強かったです。

■ 自己資金で進める決断

私は当初から、銀行融資は使わず、自己資金のみで進めると決めていました。これまで10年以上、現金支給でもらってきたお給料をコツコツと貯めてきた結果、何とか開業資金に充てられる金額まで積み上げていました。

ただ、それでも全てをまかなうにはギリギリでした。
「どこまでお金をかけるか」
「何を優先して予算を振り分けるか」
これは常に悩みました。

機材一つをとっても、オーブン、冷蔵庫、ショーケース…どれも高額です。新品で揃えればきりがなく、中古で探すにも状態の良し悪しや保証の問題があります。ここでも、先に開業していた知人や、元職場の先輩たちのリアルな情報が本当に役立ちました。

■ 相談できる人がいた安心感

思えば、開業準備の一番の支えは「相談できる人がいること」でした。

・元職場の上司
・先に独立していた友人
・夫
・家族

・工務店さん

自分の考えや迷いを聞いてくれる人がいるだけで、心の負担はずいぶん軽くなりました。もちろん、最終的に決断するのは自分自身です。でもその過程で「この考えでいいのかな」と確認できる相手がいることが、どれだけ大きかったか分かりません。

■ 事業計画書を書いてみた

誰に提出するわけでもありませんが、自分の頭を整理するために事業計画書も作ってみました。

・月々の売上目標
・仕入れの予算
・光熱費や家賃の支出
・材料費や人件費の試算
・想定される利益

書き出してみると、ぼんやりしていた不安が少しずつ整理され、数字として見えるようになりました。「ちゃんとやれば、もしかしたらやっていけるかもしれない」という小さな自信にも繋がっていきました。

もちろん、この計画書がすべて現実通りに進んだわけではありません。むしろ、オープンしてからは予定外のこともたくさん起こりました。ただ、少なくとも「何にいくらかかるのか」「毎月いくら稼げば赤字にならないのか」という基本的な感覚は、この時点で養われていたと思います。

■ 迷った時に助けになったもの

実は準備期間中に、友人の勧めで占いにも行きました。
「本当に今動いていいのかな…」
そんな不安を抱えていた私に、その方は「今はすごく良い流れが来てますよ」「タイミングとしては動いていいですよ」と言ってくれました。スピリチュアルな話は信じすぎても危険ですが、このときは素直に背中を押してもらえた気持ちになりました。

結局、占いの結果を信じたというよりも、「誰かに背中を押してもらいたかった」だけなのかもしれません。でも不思議なもので、その直後に厨房機器の中古譲渡の話がまとまったり、施工スケジュールが順調に決まったりと、歯車がどんどん噛み合っていったのです。

■ 本当にやるのは「決断力」

今思えば、開業準備の期間で一番必要だったのは「決断する力」だったように思います。
・ここにお金をかけるか、削るか
・この物件に決めるのか、もう少し探すのか
・この設備で妥協するのか、理想を追うのか
・オープン日はいつに設定するのか

悩めば悩むほど決断は重くなり、時に足が止まってしまいそうになりました。そんな時、相談できる人の存在が本当に心強かったのです。そして何よりも、自分が積み重ねてきた経験が「今なら大丈夫」と最後は自分を納得させてくれました。

こうして、いよいよ工事がスタートし、開業日が現実として近づいてきたのです。

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ケーキ屋「小さな菓子屋aya」開業ストーリー    第2話

「10年以上の修行を経て、いよいよ訪れた独立のタイミング」

10年以上働いた職場を離れる。
これまでの積み重ねがあるからこそ、辞める決断は簡単なものではありませんでした。けれども店舗移転の話をきっかけに、私はついに「自分のお店を持つ」という道を選びました。

実は、このタイミングに決断したのは、突然ではなく、ゆるやかに準備してきた流れもあったのです。独立を少しずつ意識しはじめたのは、仕事に慣れてきた数年前からでした。「もし今の職場を離れることがあったら、次は自分のお店をやってみたいな」と、漠然と思っていたのです。

ただ、その思いを実際の行動に移すのは簡単ではありませんでした。いざ独立となると、自分が抱える現実的な不安がいっきに押し寄せてきました。
「資金は本当に足りるのか」
「場所は見つかるのか」
「本当にお客様は来てくれるのか」
考えれば考えるほど、不安は尽きませんでした。

それでも、やはり支えてくれたのは家族と職場の理解ある上司でした。

夫は「お金のことは心配やけど、やってみたらええやん」と、背中を押してくれました。実際、住宅ローンもまだ残っているし、子どもたちの将来のことも考えれば、決して楽ではありません。それでも私が思い切って一歩を踏み出せたのは、家族のこの一言があったからだと思います。

上司は、長年一緒に働いてきた私の仕事ぶりを見てくれていました。
「あなたなら大丈夫やと思うよ。」
その言葉にどれほど勇気づけられたか分かりません。

私の性格として「新しい人間関係をゼロから築く」ということに、正直かなり苦手意識がありました。だからこそ「他の職場に転職」という選択肢は早い段階で消えていました。せっかくなら自分の裁量で、思い描くお店作りをしてみたい。自分が納得できる空間で、自分の作ったお菓子を提供したい。そう強く思うようになっていきました。

■ 少しずつ現実に近づいていく「準備」

ただ、思いを持っただけでは開業はできません。そこからは実務的な準備が始まりました。何もかもが手探りでした。開業資金はいくら必要なのか?家賃の相場は?厨房設備はいくらするの?……分からないことだらけです。

そこでまず私がしたのは、同じようにお店を持っている知り合いや先輩たちに片っ端から話を聞きに行くことでした。
「どのくらいの資金で始めたの?」
「厨房機器はどこで揃えたの?」
「内装工事ってどんなふうに進めるの?」
具体的なリアルな話を聞くことで、少しずつイメージが具体化していきました。

その一方で、物件探しも始めました。ネットでも探しましたし、不動産屋も回りました。候補物件もいくつか出てきました。そんな中で悩んだのが「増築」という選択肢でした。ハウスメーカーにも相談しましたが、見積もりを取ってみるとかなりの予算オーバー。設備の見積もりが乗っておらず、店舗仕様としては全く現実的な金額ではありませんでした。

「これはちょっと無理やな…」
現実の壁にぶつかりかけていた頃、ご縁があって今のノトスさんに出会いました。

■ 工務店との出会い

これが、大きな転機になりました。はじめて打ち合わせに行ったとき、予算感の話になりました。
「○○万円台ぐらいでなんとかなるんじゃないかな。」
その言葉に、私は希望の光が見えました。

もちろん工事内容次第で多少の増減はあるとわかっていましたが、「これなら現実的にできるかも」という感覚が初めて持てた瞬間でした。それまでは、夢はあっても現実が追いつかないという焦りばかりだったのです。

工務店の担当さんは、設備の手配や厨房機器の相談など、私が全くわからなかった部分も含めて一緒に整理してくれました。誰に相談したらいいかわからなかった水道や電気、消防の手続きもまるっと任せられる安心感は本当に大きかったです。

■ お金の準備

肝心の資金については、全て自己資金でまかなうと決めていました。独身時代から現金でもらっていたお給料をコツコツ貯め続け、さらに開業を意識してからは積立のペースを上げてきました。子育てをしながらも、主婦だから貯められないとは言い訳にしないと決めていました。

自己資金ですべて賄うため、金融機関からの融資も一切受けませんでした。だからこそ「予算内でおさめる」という意識が強く、内装も厨房設備も慎重に選びました。工務店さんにも正直に希望予算を伝え、その範囲内で一緒にプランを練ってもらいました。

■ 自分用の事業計画書

事業計画書も、誰かに提出するためではなく、あくまで「自分の頭を整理するため」に書きました。
・毎月の売上目標
・家賃や光熱費の支出
・材料費や仕入れの予算
・販促費や雑費の見積もり

これらを書き出すことで、漠然としていた「不安」が少しだけ「やるべき行動」に変わっていきました。
もちろん、その計画通りにいく保証はありません。でも、何も書かずに不安だけを抱えていても前に進めませんでした。書いてみると「何とかやっていけるかもしれない」と思えるようになったのです。

■ いよいよ背中を押された決断の日

そんな中で、勤めていた店から「5月で閉店します」と通告を受けました。
これが決定打になりました。

「もう決めなきゃ」
「やるなら今しかない」

後戻りはできない状況が、最後の一歩を踏み出す背中を押してくれました。
もちろん不安はありましたが、ここまで来たらもう進むしかありません。すでに物件も工務店も決まり、機材の手配も進みはじめていました。大きな歯車が動き出していました。

こうして私は、10年以上の経験を胸に、ついに「自分のお店を出す」という道へと歩み出したのです。

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ケーキ屋「小さな菓子屋aya」開業ストーリー  第1話  

「中学生のチーズケーキが生んだ、小さな夢の芽生え」

「お店を持ちたい」
今でこそ自分のお店を営んでいる私ですが、その想いの芽生えは驚くほど素朴なものでした。

まだ中学生の頃、バレンタインに友達へプレゼントするために作ったチーズケーキ。それがすべてのはじまりでした。市販のミキサーで材料を混ぜ、焼き上げたシンプルなチーズケーキでしたが、家族や友達が「美味しい!」「すごい!」と褒めてくれたのがとにかく嬉しくて。「あれ?私が作ったものでも人を喜ばせることができるんだ…」そう感じた瞬間だったと思います。

この時はまだ「お店をやりたい」という具体的なビジョンがあったわけではありません。ただ漠然と「何か作る仕事に携わりたい」「自分が作ったお菓子で人を笑顔にできたらいいな」と感じるようになりました。

その後、高校、専門、留学と進み、いよいよ就職活動の時期。迷わずお菓子に関わる仕事を探し、ケーキ屋さんへの就職を決めました。そこで働くうちに、作ることの楽しさや奥深さを学びました。実際、私は人と関わることが好きなんだなと、この時あらためて実感していきました。

正直、この頃も「いつか自分のお店をやりたい」と周りに宣言していたわけではありません。でも心のどこかでは、「こういう仕事を続けていけたら幸せだな」「いずれは自分の空間でお菓子を提供できたらいいな」という気持ちはずっとありました。

そして転機は、10年以上勤めた職場で訪れました。店舗が移転することになったのです。

この話を聞いたとき、私は思いました。
「ああ、今がそのタイミングなのかもしれない」

もちろん不安もありました。これまで築いてきた人間関係や安定した環境を離れることへの怖さ、経営の知識もない自分が本当にやっていけるのか。周りからは「転職したら?」「他の店に勤める道もあるよ」との声もありました。でも、私は新しい人間関係をゼロから作るのが得意ではなく、雇われの立場でまた一から始める気持ちにはどうしてもなれませんでした。

それなら、自分の店をやってみたい。

そう決意してからは、少しずつ現実的な準備に動き出しました。何より大きかったのは、家族の理解と支えでした。夫も「いいやん、やってみたら?」と背中を押してくれました。もちろん心配はあったはずです。資金面、場所探し、開業後の生活…。でも反対することなく、私の挑戦を応援してくれました。

職場の上司も、本当に温かい方でした。今でも思い出しますが、独立の相談をした時「これまで本当に頑張ってきたから、あなたならできるよ」と言ってくださったんです。これまで目の前の仕事を精一杯続けてきたことが、いつの間にか信頼に繋がっていたんだと感じました。

こうして、「自分のお店をやる」という決意が少しずつ固まっていきました。

とはいえ、いざ動き出してみると、想像以上にわからないことだらけでした。物件探し、厨房設備、開業手続き、予算の組み立て…。何から手をつけたら良いのかわからず、最初はとにかく経験者の声を聞きまくりました。同じようにお店を出していた先輩に資金の目安を聞いたり、設備をどう揃えたのかを教えてもらったり、ひたすら情報収集の日々でした。

そんな中で、資金面については「銀行に頼らず、今までの貯蓄で何とかする」と決めました。勤務時代から少しずつコツコツ貯めてきた現金。実はそれが、長年現金手渡しで給料をもらっていたこともあり、自然と貯まっていたのです。その存在が、自分を少し勇気づけてくれていました。

事業計画書も、自分の頭を整理するために作成しました。誰に見せるわけでもなく、自分のノートにまとめたものです。「売上はどのくらい必要なのか?」「必要な設備は何か?」「ランニングコストはどのくらいか?」。こうして書き出してみると、ぼんやりしていた不安も少し整理され、「やるべきこと」が可視化されていきました。

ただ、それでも不安は完全には消えませんでした。開業とは「自分が全て決めて、全て責任を取る」ということ。仕入れ先、メニュー、価格、営業日、休みの取り方――決断しなければならないことが山ほどありました。

それでも、不思議と「やめよう」とは思いませんでした。
ここまで来たらやるしかない。
そう思いながら、一歩一歩、準備を進めていったのです。

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パン屋エメモア開業ストーリー|第5話 

「また来たくなるパン屋には、人のあたたかさが詰まっていた」 

オープンから3ヶ月が経った「エメモア」は、毎朝開店前からお客様が並ばれる「行列のできるパン屋さん」になっていた。 
その理由は、ただ美味しいパンがあるからだけではない。 

お客さまの心をつかむ仕掛けと、日々の姿勢が詰まっていた。 

  •  

「まずは一回来てもらう。その次は、また来てもらえる理由をつくる」 

真貴子さんがそう考えて、プレオープン時から実践していたのが「次回使える10%OFFチケット」の配布だった。 
結果として、約8割の方が再来店してくれたという。 

「チケットがきっかけだったとしても、また来たいと思ってもらえたことが嬉しかったですね」 

そしてそれを支えたのは、パンの味だけではなく「このお店に来るとなんだか気持ちがいい」と思ってもらえる空気づくりだった。 

  •  

子連れのお客さんには「こちらでパンをお取りしますね」と声をかけ、 
ベビーカーの方にはドアを開けに出ていく。 
焼きたての香りをなるべく感じてもらえるように、パンの並べ方や陳列位置も工夫する。 

「私、パンは作れないんです。でも、どうすればこの空間が気持ちよくなるかは、いつも考えています」 

売れて棚が空いてきたらパンを固めて並べ直し、ボリュームが感じられるように。 
窓の指紋、テーブルの小さなごみ、店内の温度――すべてがお客さんの体験になるからこそ、細かいところにも気を配る。 

「自分がお客さんだったらどう感じるかを、ずっと頭の中に置いています」 

  •  

リピート率の高さには、商品構成も一役買っていた。 

「毎回新しいパンを求めるお客さん」と 
「毎回同じパンを買うお客さん」 
その両方に対応するために、定番と季節限定のバランスを考えていた。 

中でも話題になったのが「たけのこパン」 
夫婦で山に入り自分たちで掘ってきた旬のたけのこを使って、3日間限定で販売。 

その限定感とストーリー性が地域のお客さんの間で話題になり、3日間で約260人が来店。全て完売した。 

「ここでしか買えないパンって、やっぱり手に取ってもらいやすい」 
「でも、それって味だけじゃなくて、背景まで伝わることが大事だなって」 

新作のアイデアはサウナや移動中に浮かぶこともあれば、料理本やお菓子作りからの着想もある。 
自分たちの引き出しを少しずつ小出しにしながら、無理なく新しさを提供する。 

「常に新しいことを考えるって、すごくエネルギーが要ること。でもお客さんの、こんなパン初めて!って顔が見られたら、それだけで報われるんです」 

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お客様のなかには、美容室やバッグ屋さん、薬局など、近所の方々も多い。 
「エメモアさん、美味しいよ」 
「このパン、ちょっとプレゼントにしようと思って」 

そんなふうに、自分のお気に入りとして紹介してくれる人が地域のあちこちにいた。 

「うちのパンが、誰かの手から手に渡って広がってるっていうのが、すごく嬉しいんです」 

特別な広告を打たなくても、人の想いで広がっていくパン屋。 
それは決して偶然ではなく、日々の積み重ねの結果だった。 

  •  

このお店に込めた名前――「エメモア」。 

フランス語の響きのようでもあるこの言葉には、実はとても個人的で心からの願いが込められている。 

それは「私を愛する」という想い。 

子育てに悩んだとき、心が折れそうになったとき、自分の価値がわからなくなったとき。 

 
どこかでずっと自分自身に問いかけていた言葉だった。 

「こんな私でも、誰かに愛されていいのかな」 
「私がつくるものを、誰かが愛してくれるかな」 

そんな想いを抱えていたからこそ、自分自身を、そして誰かを大切にできる場所をつくりたいと思った。 

「私を愛して」――その願いが、「人を愛せる場所」に変わっていったとき、このお店が生まれた。 

「エメモア」には、そんな等身大の祈りが込められている。 

お店はまだスタートして数ヶ月。 
けれどその土台には、管理栄養士としての経験、子育てに向き合った時間、たくさんのモヤモヤ、勇気を出して踏み出した一歩。すべてが詰まっている。 

「失敗してもいい。でも、挑戦しなかったという後悔だけはしたくない」 
その想いが、エメモアをここまで導いてきた。 

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最後に、これから起業を目指す人に向けて、真貴子さんはこう語る。 

「不安はあります。お金のこと、生活のこと、子どものこと…全部不安です。けど、行動したら誰かが助けてくれるんですよね」 

「商工会も、税理士さんも、公務店さんも、金融機関の担当さんも――自分で壁を作らなければちゃんと味方になってくれる人がいる」 

「だから、自分一人で抱えずに頼っていいと思います。そして、自分のこうしたいを大事にしていいんです」 

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エメモアは、パン屋である以上に、「人の想いが交差する場所」だった。 
これからも、きっと誰かの記憶に残る場所であり続けていく。 

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